コラム95 ~旅立ち
嫌いな人は少ないでしょう、『パンダ』(ジャイアントパンダ)
ちなみに、「レッサーパンダ」も、パンダがつきますが、最初に発見されたのは、レッサーパンダの方で、当初はパンダといったらレッサーパンダを指していたそうです。(ちなみに、レッサーは「小型の」、「小さい」という意味です。)
田中角栄、黒柳徹子のおかげもあり、日本に初めてパンダが来たのは、1972年(昭和47年)でした。
空港で、飛行機から出てくるところから、上野動物園に入るまで、テレビ、マスコミが逐一報道し、日本中、そりゃもう大騒ぎでした。
今まで、私も何度か上野動物園に行きましたが、歩きながらの人ごみの中で、チラッと見ただけで、あまり覚えていません。
パンダ初来日から、ちょうど50年が過ぎました。
最近のニュースで知りましたが、いつのまにか、日本には13頭のパンダ(上野動物園5頭、和歌山・アドベンチャーワールド7頭、神戸・王子動物園1頭)が居ました。
そのうち「上野動物園から1頭、和歌山アドベンチャーワールドから3頭の計4頭がもうすぐ、中国に返還される」とのニュースが、テレビで沢山流されています。
所有権は中国にあるため返還は避けられないそうです。
若い個体の返還は繁殖のためだそうですが、日本生まれのパンダについては、ファンの人たちは“帰る”ではなく“旅立つ”と表現するのだそうです。
和歌山のアドベンチャーワールドの永明(オス、30歳)は、「飼育下で自然交配し、繁殖した世界最高齢のジャイアントパンダ」であり、16頭の子どもの“グレートファーザー”です。
人間でいえば90歳の高齢になるので、返還は、驚きました。(そんな爺さん連れ戻さなくても・・)
旅立つパンダたちには、現地でも大事にしてもらって元気に幸せでいてほしいと願っています。
私が「パンダ」と聞いて、思い出すのは、「神田川」などのヒット曲のあったフォークグループ「かぐや姫」のベース担当の「山田パンダ」です。(知らない人も多いとは思いますが、、)
昔、いつもパンダのTシャツを着ていたことから、あだ名がパンダになり、そのまま芸名としたそうです。
時間がたつと忘れてしまう(年のせい?)のですが、日本に最初に来たパンダの名前は、
「リンリン」、「ランラン」だと思っていました。
ちなみに、香港出身の双子のハーフデュオ「リンリン・ランラン」が日本でデビューしたのは、パンダ来日から2年後の、1974年(昭和49年)でした。
正解は、「カンカン」、「ランラン」でした。
ちなみに、日本の双子の有名人には、「こまどり姉妹」、「ザ・ピーナッツ」、「おすぎとピーコ」、「マナカナ」、「ザ・たっち」などがいます。
「阿佐ヶ谷姉妹」は、双子ではありません。