コラム109 ~あこがれ
「葬式無用、戒名不用」
遺言状は書かないと思いますが、私は家族にそう言っています。
この言葉が有名になったのは、ある有名人の遺言書に書かれていたからです。
その人の名は、『白州次郎』。
私の、憧れの人です。
遺言書には、たった2行だけ書かれてありました。
白洲次郎は明治35年(1902年)に兵庫県で生まれました。
裕福な家庭で育った白州は、旧制中学を卒業するとイギリスのケンブリッジ大学に留学するも、留学中に父親の会社は倒産。
帰国した白州は、実業界・政界に関わっていくこととなります。
このイギリス留学中、当時イギリス大使だった吉田茂と知り合いました。
「従順ならざる唯一の日本人」
終戦直後、外務大臣に就任した吉田は、白州を参与に任命し、GHQとの交渉にあたらせました。白州は「われわれは戦争に負けたが、奴隷になったのではない」と強硬に主張。毅然とした態度で任に当たり、GHQの高官に「従順ならざる唯一の日本人」と言わしめました。
吉田政権誕生後も首相の側近として活躍、昭和26年にサンフランシスコ講和条約が結ばれたときも顧問として立ち会い、英語で予定されていた吉田の演説文を日本語に書き換えさせたのでした。
「晴れの日の原稿を、相手方と相談した上に、相手側の言葉で書く馬鹿がどこにいるか!」と一喝し、急遽日本語に書き直したのだといいます。
「初めてジーンズをはいた日本人」
ふだんは自宅での食事の時でさえスーツにネクタイを着用する伊達男でしたが、サンフランシスコ講和会議に向かう機内では、あえてジーンズにTシャツで過ごしました。このことから「日本で初めてジーンズをはいた男」としても知られています。
「プリンシプル(原則)」
白州が何よりも大事にしたのがプリンシプル(原則)でした。
GHQとの折衝においてはもちろんのこと、国内で最もプレーするのが困難な超名門コース「軽井沢ゴルフ倶楽部」の理事長になってからも、貫かれました。
総理大臣、田中角栄がプレーしたいと来場した時、「ここはね、会員のためのゴルフ場だ。そうでないなら帰りなさい」と言ってのけ、マナー違反のゴルファーを見つけると、それがどんなお偉方でも構わず叱りつけたといいます。
「Play Fast」
文字通り「速やかにプレーせよ」という意味ですが、日本でこれを広めたのが白洲次郎でした。
「Play Fast!」と書いたTシャツを着てコースを回り、この精神をPRしたというエピソードが残っています。
今でも、多くのゴルフ場に、白州の字で「Play Fast!」と書かれたポスターが貼ってあります。
「とにかくカッコいい男」
身長も高く(約185㎝)、スタイルも良く、お洒落で、ウイットに富み、誰に対しても物事をハッキリと言う、とにかくかっこいい。
また、スポーツ万能で、ゴルフはハンディ2の腕前だったそうです。
さらに、80歳までポルシェに乗り、三宅一生のショーにモデルとして出演もしています。
そんな「超偉人」、「伝説的」である白州次郎は、今までも、テレビ等で、「スペシャル番組」、「ドラマ」などが数多く放映されました。
私が死んだとき、葬式が無くても、「しょうがねえなあ」と思ってください。