コラム156 ~たっこで~す

コラム156 ~たっこで~す

投稿日時:2024年4月21日

 私が、新潟から上京したのは、昭和54年のことでした。

 たいして勉強していなかった私は、案の定、大学入試に失敗して、浪人の道へ。(駿台予備校には、受かりました。)
 姉貴のアパートの近く、丸の内線「中野新橋」徒歩2分の、本当に「ツタのからま~る」(チャペルならぬ)ボロアパートでの一人暮らしが始まりました。(6畳一間、風呂なし・共同トイレで、家賃は月1万6000円でした。)
 当時、地下鉄(丸の内線)で、新宿まで2駅(現在は3駅)と近かったので、チョクチョク新宿に行っていました。(大学も新宿でした。)
 当時は、新宿西口は、あまり栄えておらず、「しょんべん横丁」などもあって汚いイメージでしたので、新宿に行くときは、もっぱら東口方面でした。
 渋谷は、オシャレな街というイメージはありましたが、当時の「若者の街」といったら新宿でした。

 上京1年後、新宿駅東口を出ると、目の前に「新宿アルタ」ができていました。
 先日、その新宿アルタが、来年(2025年)2月末で営業を終了すると発表されました(1980年竣工から、45年)

 「新宿アルタ」には、主に商業施設がはいっていましたが、7階には「スタジオアルタ」があり、『笑っていいとも!』の公開生放送などが行なわれていました。
 『笑っていいとも!』は、1982(昭和57)年から2014(平成26)年まで、生放送されていた人気長寿・バラエティ番組でした。
32年間で、8,054回放送され、最高視聴率は27.9%(平均11.5%)もあったオバケ番組でした。
 ちなみに、最低視聴率は2.8%でしたが、この日に出演したテレフォンゲストは「三波豊和」でした。

 私は、スタジオには行ったことはありませんが、その周辺のお店には、よく行きました。
 私の大好きな「元祖 和風サラダうどん」のある『三国一』も、アルタの裏にあり、そして、その向かいに「明石焼き」のお店『たこぽん』もありました。
私は、この店で、初めて「明石焼き」なるものを食べました。
 通常の「たこ焼き」とは違い、ふわふわな「たこ焼き」を、熱々の出汁(だし)に浸して食べます。
本場・明石では、「玉子焼き」というそうですが、これが、本当に美味い!
 たま~に大阪に行った時、何度か「明石焼き」を食べましたが、「たこぽん」の方が全然美味い。
「このたこ焼き屋が、なくなった」のは、本当に残念で、いつか本場・明石に行って、「たこぽん」と同等かそれ以上の「明石焼き」を探したいと思います。

 この「たこ、なくなった」で、思い出すのは、1985年の新聞の見出しにあった、「たこ、海で溺死」です。
 亡くなったのは、「たこ八郎」でした。
海水浴場で、飲酒後、一人で海に入り、死亡。44歳でした。

 「たこ八郎」は、元プロボクサーで、日本チャンピオンにまでなりましたが、パンチドランカーとなり引退。
 引退後、コメディアン、俳優となり、数多くの映画にも出演。(そういえば、名画「幸福の黄色いハンカチ」にも、出演していました。)
 馬鹿なのかよくわからないけど、素朴で温厚・憎めない特異なキャラで人気がありました。

 そんな「たこ八郎」も、「タモリ」のお笑い仲間の一人でした。
二人とも幼少時に、けがで失明(「タモリ」は右目、「たこ」は左目)という共通点もありました。
 訃報は、「たこ」が当時レギュラー出演していた『笑っていいとも!』の放送中、タモリによって全国に伝えられました。
 葬儀で、弔問に訪れた「タモリ」は「たこが海で死んだ。何にも悲しいことはない。」と、「たこ」の死を悼(いた)みました。
 ちなみに、座右の銘は、「迷惑かけて ありがとう」

決め台詞は「たっこで~す!」
「近藤真彦(マッチ)」も、「たこ八郎」のファンだったのでしょうか?