コラム164 ~いろいろな,いろ

コラム164 ~いろいろな,いろ

投稿日時:2024年6月16日

 コロナが落ち着いたせいもあるのか、久しぶりに新潟の小学校および高校の同窓会の案内が来ました。

 高校(小学校)を卒業して、はや45(50)年。半世紀です。
 ほとんどの人が生きてはいるのでしょうが、ほとんど記憶にない人もたくさんいることでしょう。(お互いに、、、)
 楽しみでもありますが、なかなか時間が取れず、今回もパスしてしまいました。(残念ながら、小学校、中学校も、同窓会に出たことはありません。)
 田舎に残っている人も、戻ってきた人も多いのだと思いますが、私のように行きっぱなし、出っ放しの人間は、なんか「裏切者」のように思えて、あまりに久しぶりだと、恥ずかしくて、出席する勇気のないのも事実です。

 田舎を思い出すとき、よく浮かんでくる歌があります。
 1970年代半ば(1975年)に発売され、大ヒットした太田裕美の『木綿のハンカチーフ』。地方から都会へと出た男性と地方に残された女性の遠距離恋愛の模様を描いた切ない歌詞の曲(名曲)です。
 ♪恋人よ~、僕は旅立つ~
 ♪ただ都会の絵の具に、染まらないで帰って、染まらないで帰って~
 「なんてお洒落な詩なんだ!絶対に、都会に染まらないぞ!」と、当時は思っていたのですが、、、

 ということで、『「色」に関する歌』を見てみますと、
テレサ・テン「時の流れに身をまかせ」(1986年)の♪あなたの色に染められ♪のように色が歌詞に出てくる歌もあります。

『色のついた曲目』そのものとしては、
ネコのタンゴ」(皆川おさむ、1969年)、「水色の恋」(天地真理、1971年)、「青い果実」(山口百恵、1973年)、「わたしの青い鳥」(桜田淳子、1973年)、「赤い風船」(浅田美代子、1973年)、「白いギター」(チェリッシュ、1973年)、「みずいろの雨」(八神純子、1978年)、「赤いスイートピー」(松田聖子、1982年)、「悲しい色やね」(上田正樹、1982年)などがあります。

 ちなみに、『木綿のハンカチーフ』の作詞は、松本隆です。
松本は、松田聖子の24曲連続オリコン1位中17曲を手掛けるなど、歌謡界で超有名な作詞家です。
聖子ちゃんに作った曲だけでも、「赤いスイートピー」、「小麦色のマーメイド」、「白いパラソル」「ピンクのモーツァルト」「瑠璃色の地球」など、色のついた曲はたくさんあります。
 ちなみにオリコンで、シングル総売上枚数の作詞家で、歴代3位です。(1位秋元康、2位阿久悠、、4位小室哲哉、5位つんく♂)
 松本が作詞したシングルの売り上げ上位は、1位「硝子の少年」(KinKi Kids)、2位「ルビーの指環」(寺尾聰)、3位「スニーカーぶる〜す」(近藤真彦)、、7位「木綿のハンカチーフ」でした。

 おっと~、『外は白い雪の夜』(1978年)を忘れていました。
 吉田拓郎の楽曲で、作詞は松本隆、作曲は拓郎自身が担当した名曲です。拓郎が『NHK紅白歌合戦(1994年)』に初出場した際に歌った曲です。が、拓郎はその後のインタビューで、「もう、紅白には絶対出ない。うんざり、こりごり。」と答えていました。
 この曲は、私が思う、松本隆作詞曲で一番の名曲です。(偶然この曲にも、色が入っていました。)
そして、二番が、『木綿のハンカチーフ』
 地方に残される女性が恋人に望むことは、都会に出ても、変わらないでいてほしい、ただそれだけだったのでしょう。
そして、最後に(別れに)欲しいと望んだのは、「涙を拭くため」の「木綿のハンカチーフ」。

 「木綿のハンカチーフ」という上品で古風なタイトルは、その悲しみをより際立たせ、大きなインパクトを与えて1970年代を象徴する大ヒット曲となりました。

 それにも関わらず、『木綿のハンカチーフ』は、当時オリコン1位を取れませんでした。

 1位は、社会現象にまでなったスーパーソング、『およげ!たいやきくん』(子門真人)(残念ながら、同じ1975年発表)

桃色サンゴが手を振って、、♪と、偶然にも、が入っていました。